× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
|
|
安藤 正裕(あんどう まさひろ、1972年4月2日 - )は、埼玉県坂戸市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー、ディフェンダー。右サイドのスペシャリストで、スピードのある攻め上がりと精度の高いクロスを得意とする。
目次 [非表示] 1 人物 2 所属クラブ 3 個人成績 4 代表歴 4.1 試合数 人物 [編集] 高校時代は無名の存在であったが、3年次の1990年に埼玉県選抜に選出され国民体育大会で優勝した経験を持つ。 清水エスパルス入団2年目の1996年からレギュラーのポジションを射止めるが、同じポジションの市川大祐が台頭した1999年には出番が激減。10月には同県内のライバル、ジュビロ磐田へと移籍。チャンピオンシップでは古巣の清水と対戦し、同年のJリーグMVPに輝いたアレックスを抑え込み、磐田に年間優勝のタイトルをもたらした。またこの年には日本代表にも選ばれている。 2005年限りで大宮アルディージャから戦力外通告を受け、現役を引退した。 所属クラブ [編集] 北坂戸サッカークラブ 北坂戸中学校 私立越生高等学校(現武蔵越生高等学校) 国士舘大学 1995年 - 1999年 清水エスパルス 1999年 - 2000年 ジュビロ磐田 2000年 横浜F・マリノス※期限付き移籍 2001年 大宮アルディージャ 2002年 - 同年9月 ガンバ大阪 2002年9月 - 同年12月 ベガルタ仙台※期限付き移籍 2003年 - 同年10月 大宮アルディージャ 2003年10月 - 同年12月 京都パープルサンガ※期限付き移籍 2004年 - 2005年 大宮アルディージャ 個人成績 [編集] 国内大会個人成績 年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算 1994 国士大 - - - 1 0 1 0 1995 清水 - J 7 0 - 0 0 7 0 1996 清水 - J 30 0 16 0 3 0 49 0 1997 清水 3 J 32 2 6 0 3 0 41 2 1998 清水 3 J 30 2 5 1 5 0 40 3 1999 清水 3 J1 16 2 3 1 - 19 3 磐田 34 J1 4 0 0 0 3 0 7 0 2000 磐田 15 J1 0 0 0 0 - 0 0 横浜FM 12 J1 7 0 1 0 0 0 8 0 2001 大宮 29 J2 44 5 2 0 1 0 47 5 2002 G大阪 6 J1 2 0 1 0 - 3 0 仙台 35 J1 12 0 0 0 2 0 14 0 2003 大宮 8 J2 36 3 - - 36 3 京都 8 J1 3 0 0 0 1 0 4 0 2004 大宮 8 J2 44 1 - 2 0 46 1 2005 大宮 8 J1 4 0 0 0 0 0 4 0 通算 日本 J1 147 6 32 2 17 0 196 8 日本 J2 124 9 2 0 3 0 129 9 日本 他 - - 1 0 1 0 総通算 271 15 34 2 21 0 326 17 その他の公式戦 1996年 サントリーカップ 1試合0得点 1999年 Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点 代表歴 [編集] 試合数 [編集] 国際Aマッチ 1試合 0得点(1999) 日本代表 国際Aマッチ 年 出場 得点 1999 1 0 通算 1 0 |
浅野 哲也(あさの てつや、1967年2月23日 - )は茨城県鹿島郡鉾田町(現鉾田市)出身の元サッカー選手、サッカー解説者・指導者(JFA 公認S級コーチ)。現アビスパ福岡ヘッドコーチ。現役時代のポジションは守備的ミッドフィールダー(ボランチ)。
目次 [非表示] 1 来歴 2 所属クラブ 3 個人成績 4 代表歴 4.1 試合数 5 指導歴 6 脚注 7 外部リンク 来歴 [編集] 1985年、茨城県立鉾田第一高等学校を卒業しトヨタ自動車に就職。当初は社内の同好会であるトヨタ蹴球団に所属し、のち1987年に社内で紹介され日本サッカーリーグのトヨタ自動車サッカー部に加入したという異色の経歴である。1991年には横山兼三監督時代の日本代表にも選出された。 1993年にはトヨタ自動車サッカー部を母体として発足した名古屋グランパスエイトに所属し、Jリーグに出場。途中、1994年に導入されたレンタル移籍制度によって同年のみ浦和レッドダイヤモンズに期限付き移籍したが、翌1995年名古屋に復帰し、1999年まで在籍した。特に名古屋がアーセン・ベンゲル監督を招いた時期には、浅野は主力として重用され活躍した。またハンス・オフトおよびパウロ・ロベルト・ファルカンによっても、日本代表に選出された。 2000年、Jリーグ経験の長いベテランとして期待され、J1に昇格したばかりのFC東京に移籍。しかし、J2時代からのバランス維持を第一とした大熊清監督のもとでは途中出場が多かった。 2001年、出場機会を求めてJ2の川崎フロンターレに移籍。しかし同年末に契約非継続となり引退する。引退後はテレビ東京のスポーツ番組『スポーツ魂』(サッカーコメンテーター)、WOWOWやスカイパーフェクTV!のサッカー中継などで活動後、2007年湘南ベルマーレサッカー部のヘッドコーチに就任した後、2010年からアビスパ福岡ヘッドコーチに就任。 次女の琴はキッズミュージカルで活躍後宝塚音楽学校に入学し(第95期生)、2009年3月に首席(総代)で卒業、芸名は礼真琴(男役)[1]。 所属クラブ [編集] 1985年 - 1987年 トヨタ蹴球団 1987年 - 1992年 トヨタ自動車 1992年 - 1994年途中 名古屋グランパスエイト 1994年 浦和レッドダイヤモンズ 1995年 - 1999年 名古屋グランパスエイト 2000年 FC東京 2001年 川崎フロンターレ 個人成績 [編集] 国内大会個人成績 年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算 1985 トヨタ蹴球団 1986-87 トヨタ蹴球団 1987-88 トヨタ JSL1部 1 0 0 0 1988-89 トヨタ JSL2部 10 2 1 0 1989-90 トヨタ JSL2部 29 3 - 1990-91 トヨタ 2 JSL1部 22 6 2 0 - 24 6 1991-92 トヨタ 2 JSL1部 16 1 1 0 2 0 19 1 1992 名古屋 - J - 2 1 0 0 2 1 1993 名古屋 - J 20 1 0 0 3 1 23 2 1994 名古屋 - J 3 0 0 0 - 3 0 浦和 - J 29 2 2 0 3 1 34 3 1995 名古屋 - J 50 4 - 5 3 55 7 1996 名古屋 - J 29 5 13 2 1 0 43 7 1997 名古屋 8 J 29 4 10 0 1 0 40 4 1998 名古屋 8 J 23 2 1 0 4 0 28 2 1999 名古屋 8 J1 13 1 2 0 0 0 15 1 2000 FC東京 6 J1 8 0 0 0 0 0 8 0 2001 川崎 4 J2 8 0 1 0 5 0 14 0 通算 日本 J1 204 19 30 3 17 5 251 27 日本 J2 8 0 1 0 5 0 14 0 日本 JSL1部 39 7 日本 JSL2部 日本 総通算 その他の公式戦 1990年 コニカカップ 4試合0得点 1991年 コニカカップ 3試合1得点 1992年 ゼロックス・チャンピオンズ・カップ 2試合0得点 1996年 XEROX SUPER CUP 1試合0得点 サントリーカップ 1試合0得点 1997年 サンワバンクカップ 1試合0得点 代表歴 [編集] 試合数 [編集] 国際Aマッチ 8試合 1得点(1991-1994) |