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ジーダ("DIDA")ことネウソン・デ・ジェズス・シウヴァ(Nélson de Jesus Silva, 1973年10月7日 - )は、ブラジル、バイーア州イララー出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。元ブラジル代表。
目次 [非表示] 1 経歴 2 選手としての評価 3 所属クラブ 4 獲得タイトル 経歴 [編集] 1993年シーズンに地元バイーア州の名門クラブECヴィトーリアでデビューし、頭角を表す。ヴィトーリアに1シーズンだけ所属した後、クルゼイロECに移籍し、1995年から5シーズンに渡って正GKとして活躍。そして99年にはコリンチャンスへ籍を移す。そのコリンチャンスでは、2000年にサンパウロ市とリオデジャネイロ市で行われたFIFAクラブ世界選手権で優勝を果たした。決勝では同じブラジル勢のCRヴァスコ・ダ・ガマと対戦し、PK戦までもつれた末、4-3(PK)で下し、優勝に貢献した。またコリンチャンスでは、PK8回連続ストップの前代未聞の偉業を成し遂げている。 ミランでのジーダ(2008年) その直後にミランへの移籍を果たすが、2000年から2シーズンでリーグの出場試合は僅かに1。イタリア語でのコーチングがままならず、2シーズンでコリンチャンスへ戻されてしまう。しかし、1シーズンもかからない内にミランに復帰。復帰直後の2002-2003シーズンにはクリスティアン・アッビアーティからレギュラーを奪取。カルロ・アンチェロッティの信頼にこたえて、リーグ30試合に正GKとして出場。リーグは3位で終えたものの、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの2冠を達成。チャンピオンズリーグ決勝ではユヴェントスとのPK戦で自身のセーブ、相手のミス併せて3度シュートを防ぎ、3-2で勝利を掴んだ。 翌2003-2004シーズンもリーグ32試合に出場。圧倒的な強さでミランはスクデットを獲得し、ジーダも大きく貢献。2004-2005シーズンには再びチャンピオンズリーグ決勝の舞台を踏み、またもPK戦になるも、今度はリヴァプールGKイェルジ・ドゥデクに主役の座を奪われる格好になり、ビッグイヤーを獲得することはできなかった。ちなみにこのシーズンの準々決勝対インテル第2戦で、試合展開に怒ったホームのインテルサポーターが投げた発炎筒がジーダを直撃、これが原因で試合は没収試合となった。 本人もトラウマになったと語っているこの事件以降、事件の後遺症なのかそれまでの安定感が嘘のように好不調の波が激しくなり、致命的なミスや負傷が増えた。信頼を損ねた続けた結果、ついに2007-2008シーズン途中にはカラッチに正GKの座を奪われた。 代表には1995年に初招集。2003年以降、ようやくセレソンの正GKに定着した。3度のFIFAワールドカップを経験し、ドイツワールドカップでは正GKを務めた。 2009-2010シーズンを最後にミランを退団した。 選手としての評価 [編集] ACミランの守護神。以前は安定感のなさが指摘されていたものの、徐々に改善され、2002年~2005年ごろまではブッフォンにならんで、現役最高のGKといわれていた。身体能力の高さには定評があり、尋常ならざる反応の速さが最大の武器で、ハイボールにも滅法強い。しかし、彼の代名詞といえば、やはりPKストップで、阻止率も高い。足をゴール中央に残して長い腕でサイドをカバーする独特のスタイルである。コーチングも極めて的確。 飛び出しはあまりうまいとはいえず、特に1996年アトランタ・オリンピックの対日本戦において味方DFアウダイールと衝突してしまい、倒れている隙に伊東輝悦にゴールを決められてしまった(マイアミの奇跡)。また、守備範囲の狭さをたびたび指摘されている。2006-2007シーズンに入ると、判断ミスでしばしば失点を犯した事で評価を急激に落とした。 PR |
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