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【2024/10/06 09:40 】 |
谷繁元信
谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
愛称はシゲなど。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 大洋・横浜時代
1.2 中日時代
2 プレースタイル
2.1 打撃
2.2 守備
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別打撃成績
4.2 年度別守備成績
4.3 背番号
4.4 タイトル・表彰
4.5 個人記録
5 関連項目
経歴 [編集]

中国山地の奥深い広島県比婆郡東城町(現・庄原市)の出身。高校は島根県江津市の江の川高等学校(現・石見智翠館高等学校)に進学する。元々は投手として入部するも練習試合でよく打たれ、1ヶ月後には監督に捕手転向を命じられる。谷繁曰く「監督が怖くて逆らえなかった」(テレビ朝日「NANDA!?」より)とのこと。
夏の甲子園に2度出場。特に1988年夏には島根県予選で、5試合全てで本塁打の計7本を放ち甲子園大会でもベスト8に進出。強打の捕手として高校通算本塁打42本の記録をマークし、江藤智と共に「東の江藤、西の谷繁」と呼ばれた。
大洋・横浜時代 [編集]
1988年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団。期待の意味を込めて山下大輔の後の背番号1が与えられる。
入団当初はリードの覚えが悪く、いつまでもオムツの赤ちゃんという意味で「パンパース」というあだ名を付けられていた。
古葉竹識監督に抜擢され、プロ1年目から1軍戦に出場。下関球場で行われたオープン戦で巨人・斎藤雅樹から本塁打を放つなど打撃を買われ、高卒新人捕手でありながら開幕1軍入りを果たした(20世紀最後の開幕一軍入りの高卒新人捕手、21世紀では17年後の銀仁朗)。公式戦初打席で初安打を放つなど期待されたが、出場80試合、打率.175、3本塁打、10打点という成績に終わった。
1990年に須藤豊が監督に就任すると、西武から獲得した秋元宏作と併用され、前年まで正捕手だった市川和正を第3捕手へと追いやった。しかし、リードも打撃も向上しなかったため、1992年に須藤が休養し江尻亮ヘッドコーチが監督に昇格すると、一時出場機会を剥奪された。
横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズへ球団名が変わるのを機に、背番号を1から8に変更。近藤昭仁が監督に、大矢明彦がバッテリーコーチに就任すると、大矢の指導でリードを含めた守備が成長し、それに伴って打撃面も向上し正捕手の座を獲得。大矢が監督に昇格した1996年・1997年は、2年連続で開幕投手盛田幸希と先発バッテリーを組む(1997年開幕戦はナゴヤドーム初の公式戦)。
1998年、攻守の要としてチームの日本一に大きく貢献。ゴールデングラブ賞を受賞。
2001年には自己最多のシーズン20本塁打を打ち、その年のオフにFA宣言を行う。当初はメジャーリーグへの移籍を目指していたが、条件面等で折り合わず、中日ドラゴンズへ移籍(背番号7、背番号8は同い年で横浜でも同僚だった波留敏夫が付けていた)。これに伴い、中日の正捕手中村武志がトレードを直訴し金銭トレードで横浜に移籍。結果的に両チームの正捕手が入れ替わる形となった。
中日時代 [編集]


2008年
2003年オフに落合博満が監督に就任。正捕手のエースナンバーは森昌彦に代表される27、もしくは田淵幸一に代表される22という落合監督の持論により、背番号を27に変更。正捕手としてリーグ優勝に貢献。日本シリーズ第3戦で満塁ホームランを放つ。
2006年にはWBC日本代表に選ばれ、2次リーグのアメリカ戦ではスタメンマスクを被った。7月26日の阪神戦で捕手としては史上4人目の通算2000試合出場を達成。打率、安打数、塁打数、盗塁数は規定打席に達している選手の中でリーグ最少を記録した。8年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞。
2007年8月8日の広島戦でプロ野球47人目となる通算300二塁打達成。8月10日の巨人戦で、更新中だった捕手の連続守備機会無失策のプロ野球記録が1708で止まった。打率、得点、安打数、三塁打、塁打数、盗塁数では規定打席に達している中でリーグ最少を記録(打率、安打数、塁打数、盗塁数は2年連続でセ・リーグ最少)。前年に続き、ゴールデングラブ賞を受賞。同僚の川上憲伸も2年連続で受賞しており、同一チームの同一バッテリーによる2年連続受賞はセ・リーグ初。
2009年、開幕直後の右ふくらはぎのけがで約1カ月間欠場。7月5日の阪神戦で捕手として野村克也に続く歴代2位の通算2328試合出場を達成。9月1日、通算200号本塁打と200犠打を達成(両方を達成したのは史上3人目)。9月にプロ野球史上初の4度目のFA権を取得。21年目で自身初の守備率10割(エラーなし)を達成し、ゴールデングラブ賞を受賞。
2010年7月28日に捕手では野村克也以来の2500試合出場達成。プロ野球史上では8人目。
プレースタイル [編集]

打撃 [編集]
打撃タイトルを獲得したことはない。1996年に一度だけ打率3割に到達したことがあるが、4度もセ・リーグ最低打率(規定打席到達者中)を記録している。しかし2桁本塁打を8度記録するなど長打力があり、次打者が投手であることが多い8番を打つことが多いことから四球・故意四球が多く、打率よりも1割以上高い出塁率を記録したシーズンが7度あるほか、2009年終了時点で現役最多の故意四球を受けている。
打順は基本的に8番もしくは7番であるが、中日移籍後は主力打者の離脱時に5番や6番で起用される試合も増えた。2004年や2006年に福留孝介が離脱すると、高い出塁率と得点圏打率を見込まれ、3番で起用されたこともあった。また、2004年の日本シリーズでも福留を欠いた打線の中で2戦目以降の全6試合で6番で起用された。
守備 [編集]
捕手としては小柄な体格だが、ゴールデングラブ賞を4度、最優秀バッテリー賞を3度受賞するなど守備力には定評がある。特に捕球と盗塁阻止に優れ、盗塁阻止率リーグ1位を5度獲得している。投手に相手打者の弱点を徹底的に突かせる攻撃的なリードをする。
人物 [編集]

中日に移籍してから、今まで正捕手の座を守っているが、先発投手によってはスタメンから外れることも稀にある。2003年は野口茂樹が先発時は柳沢裕一が起用されたり(2004年からは谷繁が起用される)、山本昌が先発のときは小田幸平(2006年から起用されるが2008年頃から小田の不調により谷繁が起用)、朝倉健太の時は小山桂司が起用される。休養のために先発を外れることもあり、落合監督も「谷繁は全試合出場は不可能」と言っており、「その時に若いのを育てる」と公言している。また、落合監督がもっとも恐れていることが谷繁の故障であり、高齢化ということもふまえて考慮している。しかし、天王山のときや勝負時では依然と谷繁を先発メンバーに入れている。
所属した球団で最初に付けた背番号(横浜大洋=1・中日=7)を、いずれも監督交代時に新たに就任した監督(横浜=近藤昭仁・中日=落合博満)から「捕手のイメージに合わない」という理由で変更されている。このため、球団名が「横浜ベイスターズ」になってからの1番のユニフォームは、1992年秋の球団名発表後の秋季練習でしか着用しなかった(鴻野淳基の8・宮川一彦の25・進藤達哉の36・畠山準の49・石井琢朗の66もこの時及び同じく新球団名発表後に行われた1992年セ・リーグオールスター東西対抗のみの着用だった)。ちなみに、就任時の近藤監督は現役時代に1番を付けており、彼の指名により進藤達哉内野手に与えられた(一説によると1番だと防具で背番号が隠れてしまうから8番に変更したとも言われている)。この時は、近藤の後に1番を付けていた山下大輔も守備走塁コーチに就任していた。また、中日での背番号7も巨人から移籍したやはり内野手の川相昌弘が付けている(落合監督は捕手が1桁の背番号を付けることに否定的だった)。
ノーヒットノーラン達成には、現役通算で2度立ち会っている。2002年8月1日の巨人戦(東京ドーム)で川上憲伸、2006年9月16日には阪神との首位攻防戦となった試合(ナゴヤドーム)で山本昌をリードして記録達成をアシストした。また谷繁は日本選手権シリーズでもノーヒットノーランを演出した経験がある。2007年の日本シリーズで、日本ハムを相手に中日の3勝1敗で迎えた11月1日の第5戦(ナゴヤドーム)で、先発の山井大介が8回、抑えの岩瀬仁紀が1回を投げて継投による完全試合を達成し(継投による完全試合は公式戦・ポストシーズンを通じて日本プロ野球史上初。また日本シリーズでの無安打無得点も史上初。ただしNPBでは継投による完全試合達成は記録としては扱われない)、53年ぶりの日本一を飾った。
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【2010/11/08 20:15 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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