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三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 [非表示] 1 経歴 2 プレースタイル 3 人物 4 詳細情報 4.1 年度別投手成績 4.2 背番号 4.3 タイトル・表彰 4.4 個人記録 5 脚注 6 関連項目 7 外部リンク 経歴 [編集] 香川県観音寺市出身。高校入学時は外野手であったが、当時の監督に勧められ投手に転向。大学は2部リーグ、社会人野球ではクラブチームに在籍。社会人時代のNTT西日本中国クラブは広島市民球場の隣であったが、広島東洋カープのスカウトが見に行った試合はいつも打たれて、スカウトの目に留まることは無かった。 2003年、この年限りでの休部が決まっていたNTT西日本中国クラブのエースとして、都市対抗野球大会中国地区第1代表を獲得。1回戦(対大阪ガス戦)に先発し敗戦投手になったが、キレのある変化球に数球団のスカウトが注目。同年秋のドラフト会議で福岡ダイエーホークス(当時)に7巡目で指名され入団。28歳でのプロ入りだった。 2004年、新人ながらチーム事情により抑えを任されオールスターゲームに監督推薦で出場。9月14日には自己最速となる149km/hをマークし、最終的に横山道哉(日本ハム)と並び32セーブポイントで最優秀救援投手、城島健司と共に最優秀バッテリー賞を獲得。新人での最優秀救援投手は与田剛(1990年)以来二人目。新人での最優秀バッテリー賞受賞は史上唯一。新人王にも選出され、28歳7ヶ月での受賞はパ・リーグ最年長受賞者となった。 2005年は開幕から好調で、4月22日の西武戦で10セーブ目をあげた。開幕から24試合目での2桁セーブ到達はプロ野球史上最速記録となった。しかし5月1日の千葉ロッテ戦で調整登板をした際に、ベニーに3点本塁打を浴びてシーズン初失点を喫すると、以後は別人のように投球が乱れるケースが増加。6月2日の阪神戦(セ・パ交流戦)では、9回裏に連続フルイニング出場記録更新中の金本知憲の頭部にボールをぶつけてしまい、危険球により退場、試合後、これに激怒した阪神ファンが暴徒化し、ホークスの選手を乗せたバスを取り囲む騒ぎを起こした(因みに三瀬は筋金入りの阪神ファンである)。7月4日の東北楽天戦では10球連続ボールを含む3連続四球と大乱調で2軍降格となった。 以後は主に対左打者のワンポイントリリーフとして登板している。 2010年6月24日、清水将海との1対1の交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍[1]。 プレースタイル [編集] ストレートは140km/h台前半だがキレが良く、スライダー・シュート・カーブ・フォークなどの多彩な変化球と組み合わせる。 スリー・クォーターともサイドスローともとれるフォームからキレのある球をコースいっぱいに投げ込む。クロスファイヤー気味の投球を用い右左の打者の相性を苦にせずテンポよく打ち取るのが持ち味。 崩れだすと止まらない、雰囲気に呑まれやすいなど精神面での弱さを指摘されることも多い。 人物 [編集] 愛称は、名前から三瀬店長(三瀬→店)。また、初めてのお立ち台で「毎日沢山の皆様にお越し頂きまして、ありがとうございます!」と店長のようなコメントをした事も、愛称の由来の一つである。 プロ入り前は阪神ファンであった(岡山理科大学時代に「三瀬君のページ がんばれ阪神Tigers」という名でホームページを作成していた)。 契約更改は基本的に一発サイン。増額なら感謝を述べ、減俸では自分の成績への反省の弁を述べる。 PR |
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